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【愛を奪う側】から【愛を与える側】へ・・・ 前提が変わると、現実がどう変わる?

【愛を奪う側】から【愛を与える側】へ・・・ 前提が変わると、現実がどう変わる?

愛されようとするから、愛されない・・・
愛情を集める“超シンプルなカラクリ”とは?

こんにちは。
トランスフォームマネジメント代表の梯谷です。

前回のコラムで、「愛されていない感覚」の重要性についてお伝えしましたが・・・。

自分は愛を奪う側。
こんな風に勘違いしている人も多いかもしれません。

愛を与えるだけだと、損するんじゃないですか?
後、こんな風に思った方もいるかもしれません。

これは、愛の定義がそもそも間違えています。
定義を間違えていると、何が起きるか。


例えば、愛が欲しい人、愛が足りてない人。

この人、騙しやすそうだなと、しょうもない男引っ掛けちゃうわけです。
私は愛が足りてない人とアピールしてますから、愛されちゃ困るわけです。
愛が足りない人と、言い続けられないですから。

逆に、私は愛を与える人と書き換えたらどうなるか。

私は愛を与える人。
つまり、愛を与えて欲しい人が集まるわけです。

この人は愛を与えてくれる人だ、色んな人が集まってくるわけです。
愛を与えて欲しい人、世の中にたくさんいますから。

ビジネスに例えると、いわゆるファンが集まってくると。

お金というのは人が管理してるものです。
つまり、人が集まるという事は、お金が自然と集まってくるんです。

愛情というのも、人がもたらすものです。
愛されようとするから、愛されないんです。

私は愛を与える側だ。
こうなると初めて、愛されたい人たちが集まってファンになる。

そして、愛されるという事が始まってくるんです。
お金から愛情から何から、情報から人脈から集まってくるという流れが来るんです。

お金が欲しい、愛して欲しい。
そういう求めている前提だとうまくいかないわけです。

私は愛を与える人です。
こういう立場を取り始めると、流れが変わってくるんですね。

世の中で活躍してる人は、そこに気づいてるんですね。
ものすごい重要なポイントですから。

愛を与える人か。
愛を与えてもらう人か。

与える人なのか。
奪う人なのか。

この区別、ものすごい重要です。

無意識に人は、与えてくれるのが当たり前。
多くの人は、こんな風に思っちゃうわけですね。

親は子どもを愛するべきだし彼氏は私にごちそう奢るべきだし。
こんな信じ込みが、普通にあったりしますよね。

与えてもらうのが当たり前だ、みたいな。
こういう前提や信じ込みがあると、人生うまくいかなくなります。

それじゃあ、こういう役に立たない前提や信じ込みを、どういう書き換えていくのか。

役に立たない前提や信じ込みをどう書き換える?
解釈や意味付けの書き換え方の事例

役に立たない前提や信じ込みをどう書き換える? 解釈や意味付けの書き換え方の事例

例えば、妊娠中に震災が起きて、めちゃめちゃ怖い思いをするじゃないですか。
そうすると子どもは、世の中って怖い所。

こんな前提や信じ込みを持ちます。
そして、こんな前提や信じ込みがあると、健康や人間関係で悪さを始めます。

では、どうしたら、こんな前提や信じ込みを辞められるのか。
簡単です。

もう一度、お母さんをやり直します。
お腹の中に戻って、そのお母さん役になります。

震災が来ましたと。
震災に対しての意味を付け直していくわけです。

震災は、このために必要で、自分はなぜその震災に遭うっていう体験が必要で・・・。
こんな風に、意味を付け直します。

震災は単純に怖いものじゃなくて、こういう意味があって。
この震災っていうのを私は体験する必要があって。

ちゃんと目的見出していくんですね。
そして、その思いを持って、もう一度産まれ直すみたいな事をやっていきます。

ああ、震災って、そもそもこういう目的だよね。
思いを引き継いでいくわけですね。


後、もう一つお伝えしておきたい事例は、【死】の考え方。

【死】は悪いもの。
こんな風に、勘違いしてる人も多いわけです。

死生観とも言いますね。

【死】は悪いもの。
こんな信じ込みがあると、病気なりやすくなります。

先日やった講座で、こういう事を言った方がいたんですね。
過去の記憶をやり直すっていうワークの時でした。

自分は中学校の時に、近所のお兄ちゃんが亡くなって、葬式に出たと。
本人は泣かなかったらしいんですね。

泣けなくて、お母さんに言われたらしいんです。
なんであんた泣かないのって。

恥ずかしいじゃないと言われたらしいんです。
あんた冷たい人ねって言われたらしいんです。

それが本人すごいショックだったらしいんですね。
そのショックをやり直そうって事になりました。

まず一つ重要なのが、そもそも死が悪いもの。
お母さんがこう思ってるみたいですねと。

そして、なんでお母さんにそういう事を言わせたんでしょうねと。
なんでこの体験、必要だったんですかねと。

例えば、私はこういうふうに提案しました。

色々もちろん理由があると思います。
一つの理由としては、こういうのがあるわけですね。

いやいやいやお母さんと。
自分の死生観を考えるという、良い機会なんじゃない、と。

お母さん、私は死というものを、こういうふうに考えてるんだよと。
死というものは、別に悪いものじゃなくて。
元の世界に戻るのが死なんだから、祝福してあげるべきじゃない?

私、死をそういう風に捉えてるんだよと。
そういう意味で死っていうのは悪いものじゃなくて、悲しいものじゃないと思うのよ。
お母さん、と。

お母さんに言わせたのは、自分の死生観を話すきっかけだったんじゃないですか。
私言ったわけです。

ただ、その当時は、死生観なんて持ちようもなくて、言い返せなくて。
ただ本当の自分が、死っていうのはどう捉えるのか考えとけ。
宿題出してきたんじゃないですか、テストやらせてきたんじゃないですかと。

こういう感じで、意味を付け直させるわけです。
こうとも言えるんじゃない、こうとも言えるんじゃない、と。

こういう解釈が正しいというのは特にないです。
色んな解釈を試してみればいいんです。

何が正しい正しくないじゃなくて、何が効果的か。
こんな感じです。

どういう記憶にしといたら、その後、都合がいいか。
こんな感じです。

私の表現で言うと、ワークするかしないかという表現を使います。

ワークするかしないか。
つまり、効果的に働くかどうか。

記憶の都合が悪ければ、また記憶やり直します。

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